美味しく召し上がれますように
この前、ふと通りがかったお店で、大判焼きを買ったのです。
あんまりに良い匂いがしていたので。
お店の方は、粒あんとカスタード、それぞれ色の違う紙に包んでくれて、
「茶色い方が粒あん、白い方がカスタードです」と渡してくれました。
そして「美味しく召し上がれますように」とおっしゃいました。
これにはちょっと感動。
普通、ここは「ありがとうございました」じゃないですか。
意味としては買ってくれたことに対する感謝ですよね。
それはもちろん良いのですが、
「おいしく召し上がれますように」って、
買ってくれたことに感じた自分の嬉しさや、
それに対する相手への感謝を超越して、
相手の幸せを願う言葉じゃないですか。
もちろん、お店の人は美味しくなるように頑張って作っただろうし、買う方も美味しそうだと思って買っているわけですが、時にはそれがうまくマッチングしないこともあるわけですよ。
その辺は相性の問題も大いにありますし、食べるシチュエーションとかにもよりますよね。
子供がお土産に買って帰ったところ、両親が激しい夫婦喧嘩していて何か食べる気分も消え失せる状況とかだったら、どんな天才パティシエのお菓子でも美味しく感じないでしょう。
自室にこもって、一人で齧る、ちょっと冷めた大判焼きとか…少ししょっぱいかもしれない。
今日、あなたが持って帰った大判焼き、お口に合えば良いな、美味しさに浸れるシチュエーションで食べられれば良いな、どうぞ「美味しく召し上がれますように」
ってお店の人が考えてると想像したら、すごい嬉しくなりました。
もちろん、単にそのお店流の決まり文句なのかもしれませんが、ちょっぴり疲れて大判焼きに吸い寄せられた私としては、ものすごくキュンとしました。
妄想激しすぎます? そうかもね。