さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

多様な人が包摂される社会はきっと何もかもが優しい

先日、私の大好きなブロガー自由ネコさんの記事で、すごく素敵な話を見つけました。

gattolibero.hatenablog.com

 

もう、正直なところ、私のブログなんか見てないで、こちらをじっくり隅々までご覧いただきたいところなんですが、端的に言えば、何も持っていないおばあちゃんが、ものすごくキラキラして人生を謳歌しているという話。

ここでネタバレすると勿体無いので詳細はホント自由ネコさんをご覧ください。

 

感想その1:幸せに決まった形はない

記事に出てくるおばあちゃんは、しわくちゃで、作業着で、田舎に住んでいて、およそ人が羨む要素なんて持っていないけれど、生き甲斐を持っていてものすごく幸せそうだということです。

 

当たり前と言えば当たり前ですが、幸せって、何であれ、その人が心から幸せだと思えれば幸せなんですよね。

お金があるかどうかとか、家族や恋人がいるかどうかとか、そういったものでは全くないですね。

 

自分のことで振り返って見ても、独身の頃は、恋人がいるとか結婚しているとかいう友人が羨ましく思えたものですが、結婚して子供ができたら同居している旦那に殺意が芽生える生活が待っているとは思いもよりませんでした。

今となっては別居している方が幸せだと思えます。お金は多少厳しいけれど、全部自分の思いのままにできる分、ストレスがありません。旦那もむしろ優しく接してくれるようになりましたし、私も旦那に当たることがなくなりました。だから心から言える、別居ワンオペ育児が最高に極楽で幸せだと。

一般的でないのは分かりますが、本当に、幸せなんて、人それぞれ。

 

 

感想その2:多様な人が包摂される社会は優しい

上の記事のおばあちゃんは、ちょっと変わった生き甲斐を持っています。

人に迷惑をかけるようなものではありませんが、正直ちょっと「えっ?」と思われそうな、もし都会で若者がこんな生き方していたら、十中八九周囲から浮いてしまいそうな趣味ですね。というか、これでは生存すらできないかもしれません。

 

でも、どうやらこのおばあちゃんが住む田舎の村では、誰もおばあちゃんを拒絶することなく許容しているのです。

そして田舎のこと、これは想像ですが、多分畑で採れた野菜を分け合ったり、互いの食卓に呼んだりして暮らしているのでしょう。

 

それゆえに、おばあちゃんは、それを生き甲斐とし続けられるわけです。

そして、きっと周囲の村人も、そんなおばあちゃんから幸せの本当の意味を知るのではないでしょうか。

 

 

ちょうど最近の選挙では「排除」がある意味で敗北しましたが、これと対極にあるのが「包摂」と言って良いかと思います。

福祉の分野なんかに詳しい方だと、「ソーシャル・インクルージョン」という言葉が浮かぶかもしれません。異質な人を差別し、排除するのではなく、異質さをそのままに社会に包摂するという考え方ですね。

近年は「ダイバーシティ」「多様性」という言葉も企業の目標などとして盛んに出てきているので、何となくご理解いただけるかもしれません。

 

多様な人が、それぞれその人なりに周りと関わりを持って暮らしていける社会は、きっと何事も「お互い様」であり、「なあなあ」であり、色々といい加減でめちゃくちゃな所があるかもしれませんが、きっと誰にも「フレンドリー」で「穏やか」で「あったかい」社会なのではないかなと感じました。

 

もし仮に自分自身が何かのきっかけで他と異質な存在になったとしても、ちゃんと許容されるって、すごく安心できる世の中ではないですか。

 

だから、ちょっと変わったおばあちゃんが社会に包摂されて生き生きと暮らしているという話には、とても癒されましたし、これからもそんな世の中であってほしいなと思いました。