さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

「世のため、人のために生きなさい」が呪いの言葉になった訳。

いつも書いているけれど、私は旦那を置いてきてからとても幸せに暮らしています。

 

経済的に豊かに?→なってません。

誰か新しい恋人が?→いません。

 

なぜかって、心身ともに自由になれたから。

 

 

乳幼児の世話と旦那の世話を同時にさせられるとか、夜中にくだらないテレビで安眠を妨害されるとか、好みのうるさい旦那に気を遣って頑張って作った料理を貶されるとか、「俺は気にしない」の一言で私の最大のアレルゲン(ハウスダスト)の除去を妨げられるとか、そういった問題が旦那を置いてきたことで一気に解決したからです。

 

それと同時に、なんとなく、世間的な価値観からも自由になれたような気がします。

 

別居が長いことを聞いて「まだ戻らないの?」「戻れるといいね」と心配する方も多いので、夫婦は一緒にいる方が幸せという価値観は一般的なのだと理解できますが、私には全く当てはまらない価値でした。

子供も「喧嘩してるのは嫌だった」と言うし。静かに距離を置いている方がいいのでしょう。

 

最近思うのが、なぜ私は4年もそんな状態に我慢してきたのかということ。

 

 

自分で言うのもなんですが、私は割と公共心に溢れている方だと思うのです。

 

むしろ、過去には滅私奉公と言っていいくらい、自ら苦しい選択をしてきたかと思います。

 

なぜあんなに青春時代をすり潰して、青春を謳歌する周りの人を毛嫌いしていたのか。

本来のキャパを超えた異常な努力をしてきて、それが自分の幸せに繋がったかというと繋がっていない。

周りも特に幸せにできていない。

ただ、私の能力を無償で利用しようとする家族に搾り取られていたにすぎません。

 

心身が健康な今、振り返ってみると、私をすり潰していたのは強烈な無力感だったような気がします。

 

私が幼い頃から、母はよく言いました。

「世のため、人のために働きなさい」

「働かざるもの、食うべからず」

「若いうちの苦労は、買ってでもしろ」

 

学生なんて、基本的には無産階級です。

世の中の役に立とうと思えども、できることはそんなにありません。

ましてや貧乏学生で、自分の学費のかなりの部分を自分で賄わなければならず、バイトと勉強で必死だったので、思うようなボランティア活動もできません。

その上、家においては「働かざるもの食うべからず」と言われ、家事労働を強いられる。

自分は始発でバイト先に向かい、バイト先からそのまま大学に行って勉強、学食の安い麺類で夕食を済ませて夜遅くに帰宅し、寝静まった家族の食器を洗う日々です。

 

世の中では色々なことが起きているのに、自分には何もできない、する余裕もない。

ただ、自ら選択した学問を極めていつか役に立てるしかない。

世のため人のため、今は耐え忍ぶしかないのだ…。

 

そんな訳で、かなり殺気立った感じで学生時代を過ごしていました。

その反動で、親の金で大学に来て遊び呆けて、ゼミの役目を放り投げてくる同級生などには相当キツくあたっていた覚えはあります。

あたられた方には堪ったものではなかったでしょう。見えてる世界が全然違うわけで。

私のような人間は周りにはほぼいなかったから、浮いていたのは間違いないですね。

 

学業を終えて世の中に出てからも、自分を殺す毎日です。

いくら勉強してきたと言っても、新米に大したことなどできません。

当初から物申す方ではありましたが、やはり不本意な事態に直面しては、 「力不足だ、情けない」という思いしか湧きません。

 

そんな中、当初は私を大切に扱ってくれていたように見えた旦那と出会い、結婚して子を設けたわけですが…

 

…次にやってきた試練が、産休です。

 

産休とは言っても、当時半ば自営業のような働き方をしていたので、雇用保険には入れなかったのです。

その分、当時の収入は一般的な会社員より多少良かったのですが、旦那にかなりの稼ぎが吸い尽くされていました。

 

いざ産むとなったら、産休中の手当てって、自営業だと出ないんですよ。

その上、社会保険料は、免除されない。

支出がこれまでと何も変わらないのに、収入は完全にゼロになります。

 

出産・育児に関して、自営業はとてもキツイ。

 

しかしながら、旦那氏、休業中の生活費は出してくれませんでした。

…あ、2万円だけくれてた。旦那の携帯代、私のカード払いになってたんでね。

 

かなり理不尽な状況だったと思うのですが、働くに働けない私は「世の中の役に立てていない」という負い目を感じているので間違って耐えてしまいます。「働かざるもの食うべからず」が前提として頭にあったので、やむなく産後かなりのスピードで復職(転職)を果たし、無理の効かない体で無理をしました。

 

今になって冷静に考えれば、この少子高齢化社会で出産したことも、乳幼児の育児するのも、相当の社会貢献ですよ

「産後は体が弱っているんだ、絶対に絶対に無理をしちゃいかん!」

…と、職場の産休復帰者には口を酸っぱくして言ってます。

「有給休暇は使い切れ!電話1本で職場にいる上司を使え!

あ、アンタの為に言ってるんじゃないんだから!お互い様なんだからね!

ツンデレ風味)」

 

…脱線しました。

 

子供は可愛いけれど、育てるのはとても大変です。

肉体的にも精神的にも追い詰められる日が続きます。

 

散々自分を擦り減らして頑張って、一体誰が幸せになっただろう。

旦那はワンオペ育児の私を傍目に楽しそうにゲームなんかしているが、それを見て「この人を幸せにできて良かった❤️」とは到底思えない。どちらかというとクソムカつく

私の無茶な働きのおかげで、何人かは幸せにできたかと思うが、ちょっとコスパが悪すぎる気がする。

大体、私自身の幸せは一体どこに行ってしまったのか。

 

そんなこんなで我慢の限界が来て、旦那を置いて来たのです。

 

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別居して、一番こだわったのは、とにかく掃除して埃を除去すること

部屋を自分の好みにコーディネートにすること

料理は手抜きかつ自分好みの味にすること

それから、健康のために運動もして、美容院にもマメに行くようになった

子供と猫のことはもちろん大切にしていますが、彼らの安全や健康と抵触しない限り、 まずは全部自分のやりたいようにしました。

 

 

その効果たるや。すごいのなんの。

 

 

例年、医療費控除の10万円に届くか届かないかだった私の医療費(産後何回かは実際超えた)が、 昨年は、なんとたったの18,600円。

花粉症と、歯科検診と、1回結膜炎で眼科行っただけ。

イレギュラー出費は結膜炎のみですよ。風邪すら引かなかった!

 

やっぱり埃、ダメだったんだ。 旦那は「俺は気にしない」って自分で掃除しないし、片付けすらさせてくれなかったけど。

あ、何度でも言うけれど、「埃で死ぬ奴はいない」って、絶対嘘だから。アレルギー持ちは死ぬから

 

 

子供のことも、心なしか余裕を持って見られるようになった気がします。

子供の年齢が上がり、成長してくれたからという部分もあるけれど、 「育てなきゃ」という感覚が薄くなり、「この子はこの子。育つのを見守ろう」という関係になってきた気がします。

そんなわけで、先日も「雪遊びさせてあげよう」じゃなくて「一緒にやろう!(ワクワク)」のノリだったのです。

 

 

で、世のため人のために働いていないのかというと、(自分で言うことでもないけど)全然そんなことなくて、職場では「世のためになるのはこっち」と思う方向へうるさく声をあげまくり、同調してくれる仲間もできて、昨年末くらいから何やらそれなりの結果が出始めているのです。

全部がうまく行った訳ではないですけどね。

ここだけは、というところは死守できたように思います。

 

さらに、Twitterで知った様々なクラウドファンディングに資金提供してみたり、企業に声を届けてみたり、以前にも増して色々と活動をすることができています。

ブログなんぞ書く余裕も出来たしね。みんなのお茶の間に、届け手抜きレシピ。

 

 

やってみれば、自分を大切にすることと、世のため人のために働くことは、矛盾なくできた訳です。

なぜ、自分を磨り減らさなければできないと思っていたのでしょう。

 

 

それは、子供の頃から青春時代にかけて「世のため、人のために働きなさい」が、 「働かざるもの、食うべからず」「若いうちの苦労は、買ってでもしろ」とセットになって、 私を無償労働に縛り付ける都合の良いお題目になっていたからだと、今は思います。

 

私の母のね。

 

 

なんの対価も得られない労働に人を縛り付けるには、とても都合のいい価値観です。

私は自分のために生き始めてからも社会貢献は大好きですが、それはあくまでそうした方が自分の思う理想の世界に一歩近づける気がするから。他人に強制するような類のものでは全くないのです。

 

こうした価値観を悪用して、人を「お国のため」に命まで隷属させるようになった結果が、あの戦争だった訳ではないですか。

実のところ、とても危険な価値観だと思うのですが、未だにそこに縛られている人はそう少なくないと思います。

怖いのは、本人には自覚が全然ないところ。

 

私の母もそうでした。

母自身、その親にこき使われてきた人なので、無自覚なんだと思います。

一体どこから始まったのかは分かりませんが、呪いのように私にまで到達していた、恐ろしい毒です。

 

今では私の育児に手を貸してくれることもある母なのでそれはありがたいのですが、子供のためにも、今まで無自覚にばら撒かれてきたその毒は浄化したいものです。

 

 

その対策として狙った訳ではないのですが、個人的に私GJと思っているのが、子供が産まれて以降、母に子守を頼むときにはその都度相当の謝礼を現金で支払うようにしてきたこと

家事労働は無償じゃない、相当の対価があってしかるべきだと思うので、その表れでもあります。外で働かないなら家事は進んでやれと言っていたその母から「介護とか育児とか、ケア労働に対しての市場価格って低すぎるわね」なんて言葉を聞くようになったので、ちょっとニヤリとしたものです。

 

なお、母も、今ではボランティア活動にとても力を注いでいます。子守が有償の労働になり、父が積極的に家事をしているので、主婦時代に抑圧されていたパワーが良い方向に放出されているように見えます。

 

 

その母が先日、全く何気ない様子で、うちの子供に「その能力は、人のためになるように使ってね」という言葉をかけていたので、その時はちょっとドキリとしました。

でも、多分、もうその言葉は呪いにはならないでしょう。

 

うちの子供はもう、自分の思い通りに楽しむ幸せと、人を幸せにする幸せの、どちらも知っているようだから。

 

 

 

さて、まだ呪縛されている方には、こちらもオススメ。 

なぜか今回は自由ネコさんに全然似合わない鬼軍曹みたいな口調で、逃れることを説いています。白くてもちっとした物体(想像)にビターンされてください。

gattolibero.hatenablog.com

 

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