石牟礼道子『椿の海の記』に圧倒される
恥ずかしながら、先日訃報で石牟礼道子さんのことを知りまして、今「椿の海の記」を読んでいます。磯の香りや土の質感まで伝わってくるような物凄い表現力で水俣の暮らしを書いてて、圧倒されます。これ読んだら苦海浄土も読む予定。
— わんおぺまむ (@OneopeMam) 2018年2月15日
読書欲爆発しそう。
本当に恥ずかしながら訃報に触れるまで知らなかったのです。
しかし、訃報に触れての様々なコメントを見ると、とても興味が湧きます。どこかで「椿の海の記」を読んでから「苦海浄土」を読むことをオススメするコメントを見たような気がしたので、その順に従ってみました。
ちょうど半分ほど読んだところで上記Tweetしたのですが、読み終わった後あっさり「読了」とか呟くには気が引けました。
かといって、私がどう筆をこねくり回しても、本書の魅力を伝えられる自信がありません。
どんな本なのかご存知ない方のために要約すると、「昭和初期の水俣の暮らしを、4歳の少女の視点で描いた 」本です。
物語の始まりから終わりまで、それほど時代は流れていません。
印象的な出来事は多少ありますが、それをあらすじとする話ではありません。
昭和初期のごく一部だけを切り取っているので、太平洋戦争も水俣病の悲劇も未だ描かれていません。
ただ、幼い子の視点で田舎の暮らしを描いただけと言えばそうなのですが、読んでいればその空気の匂い、温度、湿度まで的確に伝わってくるような圧倒的な表現力。
私は本の中で確かにおもかさまの白髪に触れたし、木の葉を引っ掛けながら獣道を駆け抜け、父に背負われて磯の香りを嗅いだ気がします。
そして主人公の純真とも早熟とも思える感性の鋭さ。
何か人ならざるものが近くにいた古の時代を感じることができます。
子供の頃確かに持っていて、そして大人になって忘れてしまったと思われる、子供の感性で見る大人の世界を見事に描き切っています。
4歳の子供が、凄まじい表現力を身につけた文豪と、心だけ入れ替わって書き記しているような、そんな感じさえします。
さて、この後は苦海浄土を読むつもりなのですが、ちょっと怖さを感じています。
最新技術のVRばりに脳内にリアルな感覚をもたらすこの表現力をもつ作者が、「水俣病に侵された人々の心の声を描いている」とのこと…。
少し落ち着いてから読み進めようと思います。