さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

アンテナを張る余裕

自らが苦労に満ちた生活をしながらも、見知らぬ他人の痛みに心を寄せられる人というのは、それはもう聖人君子の領域だなあと常々思います。

ごく稀に、市井にそのような人を見つけて、尊いものを見たという気分になります。

 

しかし多分、普通の人は、そこまではなかなか出来るものではありません。

(ん?私が出来てないのは心が狭いからですと?

それは失敬、そう思われたあなたは私より人間が出来ているようだから、是非困っているたくさんの人たちを助けてあげてくださいまし。)

自分が苦労の真っ只中にありながら、人の苦労までも背負いこむことはとても難しいなと思います。

 

 

 

私は一時期、英語の勉強のためCNNのサイトを見るのを日課にしていました。

しかしながら、乳幼児を抱えてワンオペ育児に奮闘中のその頃、CNNに激化するシリア情勢が連日報道され、市民、特に幼い子供達が犠牲になる様子が生々しく映し出されるようになると、ちょっと直視できない状態になってしまいました。

その辺りから、海外ニュースはしばらく見られなくなり、かなりの月日が経ってしまいました。

 

そればかりでなく、その頃は、自分の仕事に関係すること以外の社会情勢はあまりフォローできずにいました。単に時間的余裕がないことはもちろんですが、もう気分がそこまで乗らなかったのです。

出産直後、1回だけ選挙に行きそびれたこともありました。これは私としては結構あり得ないことなんですが。20歳になって選挙権取得してから、それまで全ての選挙で投票に行っていたのに。

 

 

それが、旦那を置いてきて色々吹っ切れて気が楽になった最近、急激に色々な社会問題に気持ちが向くようになってきました。

シリアの子どもたちのためにも冬服を寄付したり、チョコ募金してみたりもしました。

 

もちろん、厳しい状況下の人達のことを思うと、胸が痛みはするのですが、なぜだろうか、以前ほどそれが自分自身のダメージにはならなくなってきた気がします。

受け取るときに、自分と人の痛みを切り分けた上で、人の痛みに心を配り、行動を起こせる状態になっているようです。

だから自分は自分の人生を楽しめていて、それとは別に、人のことを助けようと思えている状況。

ああ、なんだこれ、私ってば今無敵状態じゃないの。

 

やはり、生活の余裕、心の余裕は優しさを生むのだと思います。

衣食足りて礼節を知ると、昔から言いますし。

 

 

そうして見ると、近年、政権がここまで酷い状況なのに、投票率が低かったり国民の関心が薄かったりするのは、実は皆さん色々と余裕がないからなのではないかなと思うのです。

また、ひょっとすると、人の痛みを自分の痛みとして引き受けてしまう感受性を持ちながら、それに耐えきれる余裕がないために、防衛機制として否認したり、問題を相手に投影してしまったりしているのではないかなと思うのです。

 

それゆえに、私はネトウヨ的な言動というものは許せないのですが、それを発している個々人は、実は大変な苦しみを抱えていたり余裕がなかったりするのではないかという気がしています。

あ、組織的にそれをやっている奴らや、権力者は別ですよ。そういう弱い個人を利用しようとするのがもうあり得ない。↓これとか本当にどうかしていると思います。

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世の中を良くするのは、たくさんの人が生活と心の余裕を持つこと、それを自分ができる範囲で周りに広げて行くこと。

 

それを妨げようとするような醜悪な企みに気付いて阻止して行くこと。

 

なのかな〜と思います。

 

 

さて、明日も人生を楽しみながら、世界を平和にしよう。