さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

苦労の怨霊を祓いましょう

「人間は苦労しないと人の辛さが分からない」

 

今思うには、呪いの言葉の一つだと思います。

解くことはできるでしょうか。

 

 

苦労の怨霊って?

私は、苦労した方がよく分かる、苦労した方が何かが身に付く、そんな風に特段の根拠無く思い込んで自分や他人に何かを課してしまう呪いを「苦労の怨霊」と呼んでいます…。

以前も書きましたが、人は苦労の怨霊に取り憑かれがちだと思います。

one-mam.hatenablog.com

 

皆が皆ではないでしょうが、取り憑かれがちな人は割とそこかしこにいますよね。

私も苦労した、だからあなたも苦労せよという方。

 

多分ですが、あまり自覚はないかもしれません。

私も多分、かなり長い間取り憑かれていたと思います。

 

 

母から受けた呪い

そこには母から受け継いでしまった呪いがあります。

one-mam.hatenablog.com

母もまた、苦労を美徳と育てられ、実際に苦労を重ねてきたため、

子の私にもそれを良いこととして教え込んできてしまったのです。

 

上記過去記事でも書いたように、最近呪いが解けつつあるようにも思いますが、 私以上に長い間生きているので、呪いはより頑固なのです。

 

それで、今の政治家達はどうも酷いね〜なんて話をしていたときに、ふと母から、冒頭の「人間は苦労しないと人の辛さが分からない」という言葉が飛び出しました。

ええまあ、あの庶民からは程遠いボンボン達が庶民にばかり負担を押し付ける政治を見ていれば、そんな風に思うのも無理はないのですが…。

 

私は「これは呪いの言葉だ」と思ったので、解いてみることにしました。

 

 

実際の会話 

私「たしかに自分が苦労して人の苦労もわかるという人もいるよね(1)。

ただ、『私も苦労したからあなたも苦労しなさい』ってなると困るよね(2)」

 

母「あー、たしかに。そうなると皆が苦労し続けちゃうね」

 

私「逆に、自分がその立場じゃなくても、相手の苦労を理解できる人っているじゃない(3)」

 

母「そうねえ、誰それさんは良い育ちだけど、すごく親切で好かれてるかも」

 

私「ということは、苦労したかどうかより、相手の立場を理解して気持ちを汲み取れるかどうかが大事なんじゃないかな(4)」

 

母「そこだよね〜。結局ちゃんと分かってくれないとね。」

 

 

いかがでしょうか。完全成仏とは行かなかったと思いますが、「苦労」に第一の価値を置いていたところから、少し重心がずれてきたように見えませんか。

(本当に効果が出たかどうかは長期的に見ないとわかりませんが)

 

 

手法について解説

解説も何も、その場でパッと考えただけの会話なのでかなり行き当たりばったりではあるのですが、ちょっとだけ工夫を述べさせてもらいます。

誰かの何かの参考に、もしかしたらなるかもしれないので。

 

まず、(1)の「たしかに〜」の発言は、「受容」を意識しました。

ソーシャルワークについて学んだときに知った概念です。相手のニーズを探ったり、解決の糸口を見つけようとするにあたっては、まずは相手の反応を受けとめて(受容)、信頼関係を築いていくことが必要だというものです。

私は母の言ったことに同意しているわけではありませんが、そこで即座に(4)の結論を述べると反発が生じます。

ここでは一旦は否定せず受容の態度をとります。

 

次に(2)の「ただ、『私も苦労したからあなたも苦労しなさい』ってなると困るよね」を(1)の後にすぐ出したのは、正直行き当たりばったりです。

受容の後直ちに逆のことを言い出すと、聞きようによっては割と典型的な「Yes, but〜」論法*1のようにも聞こえてしまいかねず、説得失敗になる場合もありうるかもしれません。

今回は(1)で「自分が苦労して人の苦労もわかるという人もいる」という形を置いて「ある人は〜、またある人は〜」と並列する形(つまりどちらの論も抵触しない形)に持って行けたこと(実は(1)はストレートな受容ではなかったのです。ちょっとずるい手法?)、そもそも親子でフランクに政治の話をしていた中でのことなのでどうにかなった次第だと思います。

母から「そうなると皆が苦労し続けちゃうね」が出てきたのは、個人的には奇跡だなと思いました*2

 

(3)も実は行き当たりばったりですが、(2)の後の母の反応がこのように奇跡的に良かったので提示しました。

「人間は苦労しないと人の辛さが分からない」という母の主張に対する反例にしようというものです。

反例というのは、ある主張や説を否定する根拠となる例のことです。

(「全ての魚は卵から生まれる」に対する「胎生のサメがいる」というようなもの)

反例を示すのは、論破という目的なら直ちに出せば良いのでしょうが、相手のマインドを変えたいという目的ではもしかしたら出すべきではないかもしれません。

一応(1)、(2)で受け入れやすい下地を作りはしたものの、初対面の人と真っ向から議論する場合なら、こんなにすぐに(3)を提示しても受け入れられない可能性があります。

 

おまけに、実は酷かったのが、この(3)の言い方では具体的な人物が上がっておらず、反例として不適切なところ。奇跡的に受け入れモードだった母が自ら反例を思いついたのです。

議論として捉えると私の発言は滅茶苦茶ダメなのです。

しかし、相手のマインドを変えるという意味では、反例を相手が自分で思いついてしまった方がよほど説得されるので、ここでもうかなり腑に落ちている様子が見えました。

 

(4)はもう駄目押しという感じです。母の主張と完全に別物となるこちらの主張を提示しています。

しかし(3)の後に自ら反例を見つけてしまったので、これもあっさり受け入れられました。

 

 

とはいえ、おそらく根強い呪い

今回は、話の主眼が「どんな政治家が良いか」というようなもので、母本人が対象でなかったので奇跡的にあっさりと「苦労したかどうかより、相手の立場を理解して気持ちを汲み取れるかどうかが大事」という形で、呪いの部分解除が受け入れられました。

もっとも、何十年も自らにかけてきた呪いは非常に解くのが困難と思われます。

しばらく様子を見ながら、都度お祓いして、苦労の怨霊の成仏を試みようかと思います。

 

まあ、母以前に私自身のお祓いも大事なので、努めて自分の幸せを見つけに行こうと思います。

 

 

*1:「Yes, but〜」論法も説得や交渉のための技術の一つのようですが、濫用されたためか、聞いてるふりして自分の考えしか言わないという態度に見えてしまいがちですね。

*2:だって、まさに母こそが「私も苦労したから」と子にも苦労をさせた人なのです。きっと自覚はまるでないのでしょう。