子どもに戦争のことや平和のことを伝える
伝え続けなきゃ忘れられそうな気がして、我が子には戦争の話を折りをみてしています。
小学生の飛び飛びの興味に引き摺られながらの話だし、小1にも分かるレベルで伝えようとすると色々不正確な部分もあるので追い追いきちんと話したいのだけれど、今年はこんな感じ。もう8月を過ぎてしまいましたがメモしていたので、今年の終戦の日に話したことです。
去年も何か話した気がするけど、結構忘れてそうだな。
母「あのね、今日は74年前、戦争が終わった日なんだよ。」
子「(なぜか目をまん丸にして)そうなの?」
母「そう、8月6日と9日に大きな爆弾が落とされて、15日に戦争が終わったの。」
子「どんな爆弾?」
母「原子爆弾っていってね、街が丸ごと無くなっちゃうようなものだよ。」
子「怖い…。じゃあこれは?(私が朝日デジタルで見てた焼夷弾の映像を指して)」
母「こっちは焼夷弾っていって、ちょっと小さめだけど屋根を突き破って火を噴くようなやつね。この辺(東京)にもたくさん落とされたはずだよ。」
子「爆弾でやられたから戦争やめたの?負けずに戦おうとはしなかったの?」
母「当時の人たちにはそう思ってた人もいたみたいね。最後は女も子どもも竹槍持って戦おうとかね。」
子「竹槍って?」
母「竹の棒のね、先を斜めに切って尖らせて、それで突いて戦おうって。」
子「え、ちょっと意味分かんない。」
母「馬鹿みたいよね、アメリカは空から爆弾降らせてくるのに竹槍で勝てるわけないじゃん。」
子「爆弾とか怖いよ、なんで戦争なんかしたの?」
母「なんでだろうね、国を大きくしたかったのかな。その頃の日本は中国に行って大勢の人を◯したり、韓国から人を無理矢理連れて来たりしたんだよ。」
子「そんなことして何になるの?それに日本より小さい国いっぱいあるよね(世界地図をよく見てる)。」
母「そうだよね、そんな理由で戦争して良いわけないね。」
子「日本に連れて来られた人はどうなったの?帰れなくなったの?」
母「(察しが良いな)そうだね、帰れなくてずっと日本に住んでる人もいっぱいいるよ。」
子「(はっと気付いたように)◯◯君は?」
母「あ、◯◯君のお家は、たぶん最近になってから普通にお仕事で来てると思うよ。今は平和にお仕事で行き来できる関係で本当に良かったよ。外国の人ともちゃんと仲良くしたいね。」
子「もし戦争になったらどこか外国に逃げたいな。」
母「そうだねえ…そう思うよねえ。実際、世界では今も戦争してる国があって、そこから別の国に逃げてる人もたくさんいるんだ。」
子「そうなの?」
母「そう、日本にも来てるんだけど…日本はそういう人をきちんと受け入れてないんだ。入管に閉じ込めてたりする。」
子「入管って?」
母「入国管理局って言うんだけど、うーん、なんだか刑務所みたいな扱いがされてる。」
子「酷い。」
母「酷いよね。戦争から逃げて来てそんな扱い受けたら悲しいよね。」
子「私、外国語の勉強したいな。」
母「そうだね、世界のことを色々知って色んな国の人と仲良くなってあちこち行けるようになるといいね。」
それから、今年の夏は幸運にも戦争体験者の話を直接聴きに行く機会に恵まれました。
その頃には珍しく軍国主義に流されない合理的な考え方のお父様と、当時の空気にどっぷり浸かったお母様の元で育ったという講師の方は、合理的でリベラルな考え方でいらっしゃいました。
戦時中に感じた様々な理不尽や、目の当たりにして恐怖したという外国人差別の話、空襲の話、戦後の生活でも声を上げ身の回りの社会を変えることを躊躇わなかった話など、本当に充実したお話で夢中になって聞いてしまいました、主に私が。
子どもは、折角の良い機会だったのに、難しくて途中で退屈になってしまってよく聞いていなかった模様です(T . T)
そうだった…この子学校でも授業の途中で明らかに集中力切れてるんだった。
全部をダイジェストするのは諦めて、講義の前に我が子が一番気にしていた、
「どうやって戦争を避けられるか」
という問いについて講師の方が仰っていたことを伝えました。
「若い人達がもっと運動に参加した方がいいって。外国のデモだともっと若い人たちが来て大勢になっているって、そんな話をしてたよ」と言ったところ
「うーん…私もうデモ行ってるしなあ…」と考え込んでいました。
そ…そうだった。君はデモ参加者の中でこれ以上ないほど若い方だよね。
この歳でやれること十分やってるよね。
うーむ…。
若い皆さん、カモン!
色々運動しようぜ。世の中変えられるぜ。