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十二国記 『白銀の墟 玄の月』(ネタバレあり感想)

すみません、今回はどうしてもネタバレ含みで感想を書きたかったので未読の方Uターンよろしくお願いします。

初心者向け十二国記の紹介を挟んだ後、どっぷりネタバレ含みの感想書きます。

 

 

十二国記って?

現実世界とは異なる別の場所にある十二の国を舞台としたファンタジーです。

ゲーム盤のような不思議な世界の中で、人は悩み苦しみ戦い生き延びて行きます。

かなり長いシリーズですが、複数の長編と短編で構成されており、飽きることはないと思います。 (むしろ何度も読み返してしまいました)

主役は作品により入れ替わります。

魅力的なキャラクターの数々に、きっと皆様それぞれに推しが出てくるはず。

 

どれから読む?

十二国記でよく聞かれるのは「どれから読む?」という問題。

最終的に全巻読み通す前提で、2パターンオススメしたいと思います。

 

『月の影 影の海』から

平凡な日常生活を送る日本の女子高生、陽子が主人公の話から。

十二国記のエピソード1的な作品になります。

主人公が右も左も分からない状態からスタートするので、読者は陽子と共に少しずつこの世界を理解していくことになります。

そういう点で、シリーズ読み始めに最適だと思います。

前半が辛いっちゃ辛いんですが、既読者からよく言われるのは「ネズミが出てくるまで頑張って」との言。

 

魔性の子』から

これが…十二国記…なのか? と困惑するかもしれない、エピソード0的な作品。

しかし何が驚きかって、ほんとにこの作品が先に執筆されているん…ですよね?

これを先に読んで(もちろんこれ単品の味わいもある)、 その後の十二国記シリーズを読んだとき、 「小野不由美…おそろしい子!」と唸ること間違いなしの作品です。

 

私、今年になってから十二国記読み始めた人間ですが、『月の影…』というオススメの声を振り切って、発行順に『魔性の子』から読みました。

読んで良かった。 いやほんと、色々と良かった。

 

…色々語りたくて仕方がないので初心者向け十二国記紹介はここまで。

さあ、以下はネタバレするので、とりあえず全巻読んでから戻って来てください。

というか、私の語りはどうでもいいから十二国記を読むのだ。

 

『白銀の墟 玄の月』感想(ネタバレあり)

あれは、「民」の物語であり、ファンタジーの衣をまとった現実社会の物語だと思いました。

凄かった…凄まじかった。

 

・秩序を失った国の民の窮状が丁寧に描かれる。

本作では土匪、荒民、浮民といった、本来の秩序から離れてしまった存在がたくさん出てきました。

過去作でも家生や朱氏のことなど出てきましたが、今回は更に厳しい環境での生き死にがこれでともかと描かれましたね。

厳しい戴の冬、こうした民の姿が胸にグサグサ来ます。

 

現実の世界でも、戦争や内乱、独裁や無政府状態などにより、民衆が過酷な状況に陥る国は未だ少なくない中で、本作はファンタジーながらそうした状態の国を写し取ったようにも見えてきます。

李斎は、泰麒は、戴を救えるのか。

いや、なんとしても救わなければ。

 

彼らが悲壮な決意を固めて行くのに感情移入し、驍宗探しはどんどん辛くなって行きます。

 

・表紙絵と前半の展開にヒヤヒヤ。後半も次々と襲いくる悲劇に……。

小野不由美は、陽子編でも一旦陽子をどん底に突き落とし、そこからの成長を描いてきました。

下手したら読者が打ちのめされ過ぎてしまうのではというくらい、主人公を窮地に立たせてくる。

本作もまた、読者は感情移入した泰麒や李斎とともに、容赦のない状況に放り込まれていきます。

 

てか、、あの表紙絵4枚、まず「え?」ってなりません?

肝心の驍宗は後姿。4巻の表紙、阿選?

そして前半の泰麒の行動(…いや、まさか?)

そして2巻のラスト(あああああ!?マジで?小野不由美、殺りやがった?)

 

そんで3巻発売まで待たされるというこれ、この期間。

もうね、絶望的な思いで既刊を読み返してました…。

 

既刊で「この展開、もし、あれがこうなっていたらこの路線だったのかも」なんて思うシーンをいくつか見つけながら、創造主たる小野不由美十二国記の世界で、ああだったら、こうだったらと、何度も駒を動かして遊んでいるのではないかという気がしてきて。

そして、その中で最もヤバイ一局をこうして今出して来ているのではないかと……。

いやもう、続刊待ちでこんな消耗したの初めてかも。

 

そして後半、すごいね、涙出ますよ。

次々集まってくる仲間たちとか。

なんだけど、集まっても、寄せ集め部隊で全然相手に敵わなかったり。 何人も犠牲が出てさ。

あいつもこいつも、良い奴ってなんでそう行っちまうの。

モフモフのあの子もさ。李斎と苦楽を共にしてきた、あの子が…。

 

そしてどーんと落ち込んで、皆決死の覚悟で刑場に潜入していくところがね。

 

なんかこのシーンがね、何かを彷彿とさせたのですが、たぶんあれ。

初めてぼっちング行ったときの気分とか。

※ぼっちング…ひとりぼっちスタンディングの略。一人で行う抗議活動。

または職場で上司の横暴に反旗を翻すときとか。

 

いや、ありませんでした?初めてデモ行くとか、初めて一人で抗議するとか。

なんかもう八方塞がりで、それでも許せない、たとえ自分一人でも戦ってやる、みたいな決意をするときって。

その種の経験ある人ならきっと分かってくれるのではと思うんだけど、どうかなあ。

 

驍宗様は…半端ない

万が一の検索ネタバレなどしないよう、多くは語らないことにしますが、 ネット用語の「大迫半端ないって」コピペを貼りたいです。

驍宗半端ないって。

 

あとねぇ、他の方も仰ってたけど、驍宗かなり変わったのではって。

文字通りのどん底に落ちてから、「生かされてる」って感じるようになるあたりがね。

かつてのイケイケな感じの(それもまた不安の裏返しで、人望無いんだと思ってたりとか、実は阿選の目を気にしてたとかいう)驍宗は、何もかも自分でちゃんとやらなきゃと焦っていた部分があったところ、自分では如何ともならない状況に陥って、「生かされてる」感覚を得るように見えるんですよね。

天から、民から、力を貸してもらうのだと。

黒いあの子をとらえる時、助けて欲しいって素直に言うし。

その辺りが、彼の成長の話でもあるのだろうなあ。

 

泰麒は本当によく頑張った。

あのさ、私『魔性の子』から読んだでしょ?

十二国記シリーズの主役は陽子って感じだけど、どこかでずっと泰麒を思う気持ちがあるのですよ。

読者としては、最初は広瀬先生の目線であの浮世離れした不思議な少年を見守って居場所を作ろうとし、その後は『風の海 迷宮の岸』じゃ汕子や女仙たち、李斎らが母親のような目線で見守るでしょ(その巻でもすごい頑張りシーンはあるのだけど)。

 

おまけに泰麒の身の上ってなかなか気の毒なんですよ。

蓬莱では祖母に疎まれ寒空の下放り出されたりしてるし、本来の世界に戻ってきて驍宗と出会うも国に戻って間も無く乱が起こり、6年もの間孤独になり病んでしまうし。

李斎じゃないけど、どこか泰麒を守らなきゃと心配する気になるというか、ほんと、今度こそちゃんとあるべき所に帰してあげたいと思うんですよ。

 

それがさ、本作は、あり得ないくらい頑張るじゃない。

角も失ってるのに。

シリーズにおける麒麟という生き物の常識をぶち破るんですよ。何度も。

その最中に、『魔性の子』の広瀬のことを思い返すシーンがあってさ、魔性の子から読んだ私、号泣ですよ。

私の中の広瀬が、「高里…頑張ったな」って泣くのですよ。

 

そんで最後のあのシーンね、刑場の。もうね、圧巻。

 役者がすべて揃い、それぞれが悲痛な決意を固める中、一番頑張ったと思います。

 

うゔぁあああ〜

 

ほんっと無茶したよ、泰麒、高里。

ちゃんと回復してこーい。

 

たぶん関係各位が首を長くして待ってるから(キリンだけに…)。

 

……。

 

小さなことの積重ねは、無駄じゃない。

最終的に、本作の戦いは夥しい犠牲も出すのだけど、長い時間の間に積み重なった、小さな親切や、誠実な努力、またそれぞれが正しくあろう、真摯にあろうとしたことが、大きく結実するのですよね。

それがとても救いになります。

 

驍宗が半端ない活躍を見せられたのも、名もなき貧しい民が命懸けで繋いでいた供物のおかげだったし、白幟の起こりはそもそも驍宗の轍囲の民への気遣いからだし。

幼かった泰麒の人道的な振る舞いが元で重要人物が失われずに済んでいたりもするし。

 

また、李斎の元にはたくさんの仲間が出来てくるのですが、朽桟や葆葉みたいに、それぞれ、本当にそれぞれの正義感で集まってくるのがなんかね。

それぞれの正義感で集まってくる大規模デモみたいでまた胸熱なんですよ。

 

ほら、現実世界でも最近大学入試の英語民間テスト使うのストップしたけどさ。

あれも有識者が色々言ってるときにはなかなか一般への周知が進まなくてさ。

たった一人、学生が選挙演説中の大臣に直接抗議しようと出て行って排除された事件があって、それが日頃抗議活動してる人らの目に入ってさ、今度はずっと問題提起してた人が「初めて主催して抗議やります」って言ってさ、現役高校生が出てきてスピーチしたりして、あっという間にどんどん人が集まってさ、大臣が失言してもう前よりもっと広く反発が広まってなんかストップしたじゃん。

もうね、地道に小さいことの積み重ねなんですよ。

全然周知されてないうちから「おかしい」って問題提起してきた人、直接抗議しに行って排除された人、初めてだけどデモやるって声上げた人、スピーチしてくれた高校生、彼に声を託した地方の高校生、援護射撃してくれた学校や塾の先生、もっと前から別の問題で路上に出てきてデモ慣れしている面々(私もちょっとだけど行ったよ)など、これらが適時に積み重なって火がついたと思うんですよ。

どれが欠けてもダメだったと思うんです。

 

民主主義って、こういう「不断の努力」の積み重ねで出来上がるもんなんだと実感しました。

戦後日本の平和な世の中は、戦後だいぶ経ってから生まれた私たちは当たり前みたいに思ってるとこありますけど、たぶん市井の人たちが結構見えない努力もしてきたんじゃないかなと最近思います。

こういうのを、うっかり絶やしちゃダメですね。

きっちり続けないとね。

 

泰の話は、6年間の王と麒麟の不在を経てぐちゃぐちゃになった国をつぶさに見ていき、皆の小さな力が結実して国を建て直すという話にもなってるわけですが、なんか偶然ながらやっぱり現実にちょっと重ねて見ちゃうんですよね。

そうした個人の小さな努力も、続けていれば、いつか必ず偽王をひっくり返せるんじゃないかって。

 

現実世界で私がどの役所を演じられるかは、演じてみなきゃ分かりませんが、地道に頑張りたいですね。

貧しい中でも供物を絶やさなかった彼らの役くらいならできるかも、ということでちょくちょく署名したり寄付したりクラファンしたり。

あとやっぱりデモには行きたいですね。デモは、ときどき歴史を変えますから。

歴史を変える瞬間にせめて立ち会ってみたいなと思います。

 

ではまた!