さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

アイデンティティの脆弱性と過剰な防御反応ということ

昨今の左派界隈(の一部)の論調からすると、何問題かを明言することすら躊躇われる状況ですが、この問題について。

 

youtu.be

 

これを見て、なるほど彼らの過剰反応は己がアイデンティティの危機ゆえかというのが腑に落ちました。

 

私は以前、こういうエントリーを書いています。

one-mam.hatenablog.com

 

その考えに同調しない者からすると異常に見えるほどに、何かに執着し、たとえ論理が破綻していても声高にそれを主張し、同調しない者を排除する行為に出る者がいます。

動画に上げられているような、JKローリングに対して脅迫文を送るような人々は、おそらくはこのようなアイデンティティの危機にあり、必死に抵抗をしているのではないかと推測されます。

 

この問題が表面化し始めたのは何年も前で、私はその頃からSNSでのちょっと異様な熱狂と、脅迫に遭う女性たち*1を見てきました。

なるほど、ここで性自認に基づきトランスジェンダーであると主張して、異論を唱える女性たちを加害者と扱う人々にとっては、彼ら自身がマイノリティであるというアイデンティティの危機に他ならなかったのであろうと理解できます。

 

この問題で不思議だったのは、一方で、性同一性障害であるとして問題表出より以前から戸籍を変更した人々が、むしろ性自認のみを基にした性別変更を容認する考えに異論を唱えていたことです。

ことがことだけに顔や名前を出して主張される方は少なかったので(性別変更した方の多くは、元の性別を明らかにしないことを望まれるでしょう)、実際にどの程度の割合がそのように考えていらしたかは分かりません。

しかしながら、性同一性障害特例法の成立に寄与した故山本蘭さんは、特例法の手術要件の撤廃には慎重な立場を取られ、どちらかと言えばむしろJKローリングや性自認のみを基にした性別変更に異論を唱える女性たちと近い行動を取っていました。

blog.rany.jp

 

望んで手術を求める者と、手術要件の撤廃を求める者では、相当に利害関係が異なるということでしょう。

前者からすれば、身体の方が誤りであり、これを「本来の姿に戻したい」という考えだったはずです*2

そうして身体を是正し、「本来の性別」で過ごす人々にとっては、その同性が異論を唱えるようなあり方は耐え難いものかと推測されます。

 

他方で、手術要件の撤廃を求める立場の「当事者」は、少し様相が違うように思われます。

彼らは「健康上の問題などで手術がしたくてもできない人がいる」ということを言うこともありますが、健康上の問題などなくても、そもそも手術をしたくない、「断種手術だ」などとしてそれを拒絶する考えの方を少なからず目にします。

彼らにとっては「心が⚪︎性」である自分、マイノリティである自分、というところにアイデンティティがあり、これに対する異論があることにはアイデンティティを否定されるという恐怖を感じるのでしょう。

 

それは科学的な事実すら否定せざるを得ないほどに。

 

 

もう一つ、重要な問題として、この件は「当事者」のはずの性同一性障害の方そっちのけで、一部「当事者」を支援し代弁する「アライ」の数が相当多いということがあります。

 

彼らもかなりの過剰反応を示し、時には自ら論理矛盾していても、正当化するような行為に出ている様子が見受けられます。

 

www.kadokawa.co.jp

 

この本が出版されるにあたり、少なくない「アライ」が「もうKADOKAWAでは本を出さない」といった表明をするなどし、予約まで始まっていたにもかかわらず異例の出版停止となりました。

 

驚いたのは、出版に反対していたアライの多くが、この本を読むことすらなく反対していたということです。

 

正直なところ、私としてはこの本は重要な警鐘の一つと考えています。

というのも、我がこととして全く同じようなことが起きたからです。

 

ブログに書いたつもりでいましたが、どうやらTwitterの投稿だったようで、アカウントを消した今はログが分からず。

経緯としては、娘がまだ年齢1桁の折、いずれかのYouTube動画を見て、

「お母さんどうしよう、私トランスジェンダーかも知れない」と泣き出したことが発端です。

 

私は直接見ていませんが、その動画では、スカートが嫌いで外で活発に遊ぶのが好きな女の子はトランスジェンダーの男の子だという論調だったようで、活発な娘がそれに該当し、不安に感じたというものです。

 

このときは、まず「あなたが男の子であろうと女の子であろうと、私にとっては変わらず大切な子だから安心して」ということを伝えました。

 

その上で、「本当に男の子になりたいのか、そうでもないのかは、じっくり時間をかけて考えて欲しい。子どものうちにどちらと決めつけて体にメスを入れたりすれば、後から間違ったと思っても取り返しがつかないからね。大人になってからの判断なら応援する」と伝えました。

 

さらに「もしスカートが嫌いだとか、外で活発に遊ぶのが好きだとか、女の子が恋愛対象なのは男の子だとそのYouTuberが言っていたとしたら、それは間違いだ。そういう女の子も現にいる。大体、君たちの世代の女子って、ほとんど日常的にズボンだし鬼滅読んでるし、小学生の多くは外で活発に遊ぶものだよ。女性に恋愛する女性はレズビアンと言ってこれも昔からいる。私もどちらかというと男の子っぽい趣味が多かったし、少年漫画の方が好きだったから、少女漫画の好きなじいじと漫画雑誌を交換して読んでいたよ」と伝えました。

 

こうしたことが少なくない子どもに起こり、事情により十分なケアをできなかったりした場合に、早計な「治療」が行われて取り返しがつかなくなるというのが、まさにこの本の訴えるところではなかったのでしょうか。

 

適当に「おすすめ」を漁るYouTube視聴スタイルのため、結局当該動画がどれなのかは分かりませんでしたが(そのため内容が本当に娘の言った通りだったかは分かりません)、小学生にこんな不安を抱かせるものがあることに問題を感じます。

 

ちなみに、我が娘が感じた不安をすぐに表出してくれたことと、適切に対応ができたおかげで、現在娘はこのような不安を抱いていない状況です。今度は偶然見た韓流アイドルにハマり、ダンスを真似て、「彼女みたいになりたい」と言う始末。

要は、小さい子どもは何にでもすぐ影響されてしまうということかと。

万が一、「トランスジェンダーかも知れない」と言い出した数年前に「治療」を進めてしまっていたら今のこの状態はなかったわけで、本当にこうしたことには慎重な態度が必要だと実感しています。

 

 

こうした極めて身近な経験からすると、あの本を出版停止に追い込んだトランスアライ達の熱狂ぶりは不思議でしかなかったのですが、これもまた一つの「アイデンティティの危機」ということが言えそうな気がします。

 

私が元々Twitterでいわゆる左派を多くフォローしていたこともあり、彼らアライの活動も比較的長い間目にしてきました。

彼らの活動は、もう何年にもわたることですが、何度も「踏み絵」のようなものを用意し、そこから抜けることを困難にしているように見えます。

 

・「トランス女性は女性です」に賛同しない者は差別に加担している。

・これに異論を唱えるTweetに「いいね」を押すことは差別である。

・度々異論を唱えている者は差別主義者であり、差別主義者をフォローする者は差別主義者である。

 

更には厄介なことに、一旦これに賛同した結果、出版停止などの「成果」を挙げてしまった場合、これを失敗とされることが彼らにとっては自らの誤りを認めざるを得なくなるわけです。

 

賛同した者の多くは、これまで様々な差別に反対してきた者であり、自らが「差別主義者」であると言うのは耐え難いことでした。

故に、彼らが異論を唱える女性を踏み付けてでもトランス差別に反対しなければと掻き立てられるのもまた、アイデンティティの危機なのだと感じます。

 

 

歴史を遡ってみると、世界では色々と酷いことがあったものです。例えば、今の時代からすると、中世の異端審問だったり魔女狩りだったりは「異常だ」と思えますが、おそらく当時はこれらに加担した人たちも自分だちが正義だと思ってやっていたのだろうと思います。

 

私は今のこの問題が解決するには正直100年はかかるのではないかと思っています*3。なんなら、凄惨な事件の一つや二つ起きてからようやく動きが変わるのではないかという諦め気味の印象すら持っています。

 

 

この問題について冷静に捉えることができるようになるには、とりあえずそれぞれが別のところにアイデンティティを見出すのがいいのではないかと考えていますが、そう簡単には行かないのでしょうね。

 

 

*1:最初に異論を唱え始めたのは多くが性暴力被害の経験がある女性たちでした。異論を唱える人の中にはそうでない方もいましたが、脅迫まで受けるのは圧倒的にこうした立場の人たちでした。

*2:なお、この辺りについては、また別の動機で性別変更手術を望む人も存在するようなので、知れば知るほど悩ましいものですが。

*3:ただ、イギリスでここへ来て方向転換の兆しが見られ、JKローリングが再評価されつつあるあたりからすると、もう少し早いかも知れません