さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

差別について考えていたら顧客満足度が上がった?

身バレ防止で色々ぼかしてますので、フィクションだと思っていただければ幸いです。

 

今回書くのは、差別について頑張って目を向けてみると、こんなことも分かるかもしれないよという一例です。

 

 

 

差別に気付くことの辛さ

女性差別とか特にね。

この国には当たり前のように溢れすぎているので、気付くと悲しくなるからあえて目を瞑っている女性も多いと思うのですよ。

だから被差別当事者であるその人達に横っ面叩いて「目を覚ませ」とは、なかなか言いづらい。

 

対して男性には「目を向けろ」と言うこともあるんだけど、見ようとしないし「お前(ら)以外は騒いでないだろ」と言われがち。これは本当に。

でも実態は、言うとそうやって叩かれるからなかなか言えないだけで、抑圧以外の何物でもないと思うんですけどね(そこに「私女だけど差別なんてないよ」って言い出す「名誉男性」という存在もいたりするので実際は大変ややこしい)。

 

そんな具合なので、差別というのは気付くとむしろ大変だったりもします。

だから目を背けてしまう人が少なくないのかなと、時々悲しい気分になったりもします。

 

そこで、趣向を変えて、普段あまり見かけない、差別を見つめるメリットといえそうな例も挙げてみようかなという気持ちで書きます。

ただ、今回挙げる具体例自体は「差別に似た状態」の話であって、差別そのものではないと評価されると思います。

 

 

差別について考えてみる

差別とは、一般的には、本人の努力によってどうすることも出来ない事柄で不利益な扱いをすることが差別と言われていますね。

人種や国籍、性別などが分かりやすいかと思います。

 

構造としては大抵、マジョリティや強者が差別する側になり、マイノリティや弱者が差別される側になるだろうと思います。

差別がなぜ悪いかというと、被差別者側本人に変えようがない立場の不均衡さを利用して相手を抑圧する形になるので悪質だと言われるんですよね。

 

ただ、社会には様々な側面があるので、立場の不均衡というもの自体は様々なところで起こり得ますよね。

ある場面でマイノリティである方が、別の場面ではマジョリティとなることもあります。

属性でなく、単なる相対的な強弱の場合もあります。

不均衡だから直ちに差別というわけでは、ないみたいです。

 

ただ、もっと根源的なところで、そもそもなぜ差別がいけないことかと考えると、それはやっぱり抑圧された側が「めちゃくちゃ辛い」思いをするからですよね。

しかもそうした思いをさせられるのが不合理だから。

最近、ネットを通じて色々なマイノリティの方の声を聞いてみて思うのは、「私は◯◯(マイノリティ)だから辛い」という声ってそんなに聞かない気がします。

「◯◯(マジョリティの言動や抑圧。不均衡さを放置したり無視するという不作為も含む)によって、心が激しく傷付けられた」というものが圧倒的に多いと思います。

学術論文じゃないですし、思ったことを超ざっくり言いますが、「社会的な不均衡さによって人が不合理にめちゃくちゃ辛い思いをさせられている」ことが、良くないことの根源なのだろうと、今のところ考えています。

 

そうして考えてみると、「これは差別の定義には当てはまらないからやっても良い」みたいな言動は、ちょっと人としてどうかしてると思うんですよね。抑圧されてる側の声に耳を傾けなければ、一見論理的で支持したくなるものかもしれないけれど。

例えば、会社の役職みたいな力関係 (本人の努力でどうしようもできないくらい固定化されていることもあるが、会社を辞めれば及ばない)を利用した不合理な抑圧は、「差別」とは呼ばれないでしょう。

しかし、パワハラですよね。そして、抑圧された方にとっては差別だろうがパワハラだろうがめちゃくちゃ辛いじゃないですか。それで不幸にもこの世から去っていってしまう方いっぱいいるじゃないですか。

差別じゃないからやっても良いんだとは誰も言わないと思います。

 

 

差別について考えていたら出来たこと

先日、個人のお客様にとあるサービスの提案をしたところ、お客様から「たぶん、これでいいと思います」というお返事を貰いました。

 

そのとき、あ、何か気になっていらっしゃる点がありそうだなと思ったので、ちょっと突っ込んで「何かご心配な点があれば、なんでも遠慮なく教えてください」と聞いてみたところ、「私には分からないし」「プロの方から見て良いのなら」と仰いました。

 

かつてなら私も気付かなかったかもしれませんが、ふと、気付いてしまったんです。

このお客様と私との間に、今、立場の不均衡があると。

少なくとも、このお客様はそう思っていそうだと。

 

我々仕事してますと、たまには横柄なお客様もいたりするので、(お客様は神様じゃねー!対等な人間じゃ)と内心毒づくことはあっても、お客様に下から見上げられることがあるとは、正直気付いてなかったんですよね。

自分とそのお客様は同性だし、お客様の方が年上だし、お金出してるのは向こうだし、まさかこっちが上になってしまっているとは、それまで全く思ってなかったんです。

でも、当該お客様からすると、「相手はプロ」「より情報を持ってる」という点において、逆に私の方が強者に見えていたのです。

 

もし、ここで私がシレッと「お伺いしたお客様の状況からすれば、◯◯が最適だと考えてご提案しました」って答えたら、どうでしょう。

それ自体はたぶん傍目に見て特別不自然な対応ではないかもしれません。

しかし、お客様からは、言いたいことも言えずに強者から軽くあしらわれたように捉えられてしまうかもしれない。

多分、普通に対等だと思っている人からそう言われても何もなくても、不均衡を感じている人からしたら普通より辛く思うことはありうるぞ、とピンと来ました。

 

ここで下手な対応をとったらお客様との信頼関係が崩れかねないと思い、もう一歩頑張ってみることにしました。

今、立場の不均衡があるのなら、こっちから下りて行って寄り添う必要がありそうだと。

 

ここで必要なのは、非審判的態度であり、受容の技術であり、寄添いかつエンパワメントなのだ(なんか最近そういうのを勉強してる)。

 

「ご利用は初めてですから、当然ご心配もありますよね。もし気になる点があれば、なんでもお聞かせください。こちらで対応出来ない場合もありますが、できるだけご不安を軽減できるようお力添えさせていただきたいのです」

 

そうしたら、お客様は、「私が気になってるだけで、関係ないかもしれないけど…」と言いながらも話し始めました。

それは、サービス全体の質には変わりがないと思い、私があまり重視していなかったことでしたが、お客様にとっては大変気になることのようでした。

 

「その点がご心配なのですね。お聞かせいただきありがとうございました。 それでは、〜を〜にしてみるという方法もありますが、いかがでしょう」

 

そしたらね、お客様の表情がパァっと明るくなって、「是非それでお願いします!」と仰いました。

こちらも大変嬉しくて、軽く舞い上がってしまいます。

 

売上はどっちだって一緒なんだけど、ほんの一手間でお互いがとてもハッピーになれたのです。こんなに嬉しいことはない。

 

この対応で気をつけたこと

このやり取りで私が気をつけたのは、

・お客様の話しやすい状態を作ること(遠慮を取り除く)

・そのためにお気持ちを受容すること(まずはただ受け止める)

・こちらの主張はひとまず後回しにすること

・選択肢をあげつつも決定権はお客様にあるというスタンスを徹底すること

でした。

 

その人のキャラクターにもよると思うんですけど、一旦黙って相手の言い分を聞くのって、結構難しいかもしれません。

特に良かれと思ってやってることだったりすると、ついつい説明したくなってしまいがちです。

でも、相手が立場の不均衡を感じる状況下でそれをやってしまうと、相手からすれば「言いたいことを封殺された」「上から目線」と取られることもあり得ると思います。

 

 

立場の不均衡はどこにでもある

実際思いも寄らぬことで強者/弱者、マジョリティ/マイノリティの構図は生じうるのだなと、今回実感しました。

 

私にとってこれは、色々な差別問題について見たり考えたりしていなければ気が付かなかったかもしれないことです。

もしかしたら、これまで仕事で何か上手くいかなかった案件も、こういうことに気付いていればいくらか良い提案ができたのかもしれないと思いました。

 

あくまで一つのエピソードに過ぎないですけどね。

この記事が、どなたかにとって、差別解消について前向きに考える何かのきっかけになれば嬉しいです。