自分の価値観を疑ってみる
なんだか極楽っぽくないネガティブなタイトル?というわけではなくてですね。
少し前に、女性専用車両に乗り込み男性差別だと騒ぐグループが現れて騒ぎになったりして、痴漢の問題、女性差別の問題などが、Twitter上でも話題として目に付くようになってきました。
そんな中、朝日新聞デジタルで、こんな記事が目に止まりました。
英国の社会学者アンソニー・ギデンズは、家父長制的な制度が衰退し、優位に立てなくなった男性の不安や無力感が、性加害やDVにつながっていると指摘しています。性加害やその根底にある男尊女卑的な考えは、多くの社会に共通する課題です。
これを見たとき、以前書いたことを思い出しました。
つまり、「長男エライ」で育てられてきた古風な価値観の家庭の長男である男性が、俺は長男だからと彼なりに一家を支えるべく頑張って勉学に励んできたところ、社会に出たら世の中男女平等で、唐突にこれまでのアイデンティティを喪失しそうになるとか、
何でも我慢を強いられてきたために「我慢すべき」が規範となってしまっている人が、我慢できずに声をあげる弱者に対し、自分が耐えてきた「我慢すべき」という規範がぶち壊されて自分の存在意義が危うくなるとか、
そういう時に逃げ込んだ先が、男尊女卑的な価値観を振りかざす集団だったり、兎にも角にも我慢を美徳とする価値観だったりして、それ以外のアイデンティティを持たない者であればあるほど、必死にしがみつき、それにそぐわない者を排除しようとするのではないでしょうか。
家父長制的な価値観で生きていた人たちにとって、それが無くなることはアイデンティティ喪失の恐怖なんですよね。で、失いそうになればなるほど必死にしがみつき、極端になっていくのではないかと思うのです。
で、この状態からどうやって脱することができるのかという問題に対して、拙稿で引用したエリクソンは、職業的なアイデンティティをあげています。
しかし、現在の日本でそう思うように職業的アイデンティティを確立するのは難しいですよね。
他方で、それとは全く別な形で、世の中にはアイデンティティが生まれ変わったかのような劇的な(良い方向での)変化を遂げている人がいるように思います。
ここで私が思い浮かべていた一人が、美奈子さん なんですよ。
詳しくは
をご覧いただければと思うのですが、お子様が誕生してから産後うつになり、奥様に辛く当たるようになってしまった美奈子さんが、カウンセリングを受けたり女装するなどして徐々に立ち直る話が書かれています。
美奈子さんは色々と試行錯誤されていて、ご自分の中の男性性を覆してみたり、加害性を認めてみたり、弱さや怒りを認めたりしている過程が、すごく興味深いのです。
これって、凄いことだと思うのですよ。
まずね、自分が間違ってるって、なかなか思えないんですよ。
多分、誰しも「自分は正しい」って思っているはず。
しょっちゅう変わり者認定される私でも、自分は普通だと思っているのですから…ええと、私のどの辺が変わり者なんだろう???(←ほら)
どうかするとうっかり自分の正義を振りかざしそうになりますが、やっぱりそうじゃないってこともたくさんあるのではないかなと思うのです。
それに気付くのは、別に自分に自信を失うという話ではなくて、他の価値観と自分の持っている価値観の差に気が付くということではないかなとも思うのです。
疑うことと否定することは、同じではないですからね。
なので、私も時には自分を省みる必要があるのだろうなと思います。
正直、多分まだそんなに内省できてない。
自分と「何か違うな」と思う人の価値観がなんなのかを、じっくり見つめてみることも必要なのかもしれませんね。
できればリアルの知り合いの方がいいですね、職場の人とか。顔色見て話できるし。継続して会えるし。
あと、冒頭の記事を見たときに、女性たちの中にある偏見についても少し触れたくなったのですが、また機会があればそれについても書いてみたいと思います。