『マレフィセント』と『アナと雪の女王』 、そして『マレフィセント2』と『アナと雪の女王2』
小学生の子どもと二人暮らししています。
常に子どもと一緒となると、観られる映画が限られてしまうのが悩ましいところです。
とはいえ、子どものおかげで昨年まではプリキュア、最近はディズニー映画を中心に、「今の大人たちは子どもにどのような価値を見せようとしているか」を伺いつつ、一緒に楽しんでいます。
今回は公開時期の近かった『マレフィセント』と『アナと雪の女王』 、そして『マレフィセント2』と『アナと雪の女王2』をレビューします。
思いっきりネタバレ含みますのでネタバレ見たくない方はご注意ください。
(ここから旧作・周辺作品ネタバレを含む可能性があります)
前作の『マレフィセント』『アナと雪の女王』
さて、ちょっと前のこと。 マレフィセント2の劇場公開がされたものの前作未鑑賞だったので、ネットレンタルして『マレフィセント』を子どもと一緒に観ました。
アンジェリーナ・ジョリーのゴシックなコスプレが見たかったというのもあり。
観て思いましたが、これ、『アナと雪の女王』そのものじゃないの。
アナと雪の女王では、呪いを解くための「真実の愛」が、男女の恋愛ではなかったですよね。
マレフィセントでも、本来の童話では呪いを解く鍵となるはずの「王子様のキス」があっさりと否定され、それとは別のものを「真実の愛」とします。
まぁ、そうですよねぇ…。ディズニーがかつてアニメ化してきた童話といえば、「美しい不遇の姫がなんだかんだあって王子様と結ばれ幸せになりました」ってやつでしたから、今の世の中で通用する作品にするにはその辺一掃する必要があったんでしょう。
それにしても、こんなに似てしまうものなのですね…公開時期も近かったようだし、当時の評価はどうだったんだろ。
改めてネット見てみるとやはり両者を対比したレビューもありますね。
なるほど、こちら同じ部分ではなく異なる部分に着目した記事ということで、大変興味深いです。
(ここから新作のネタバレがあります)
『マレフィセント2』※ネタバレあり
前作で呪いを機に親子の愛情を育んだマレフィセントとオーロラが、もちろん中心人物として登場するマレフィセント2。
予想より結構キツめの展開がやってきます。
前作で「いいやつだけど頼りなさげ」だった王子様のポジションはちょっと発展しているようです。オーロラとは良い感じに。
が、それよりも、何よりも、見どころは義母様。
王子の母。
序盤からすごいバチバチです。
映画タイトルが「実録・鬼女板~義母がどうしても辛い」とかじゃなかったかどうか確認しようと途中退出したくらい(嘘。子どもがトイレに立つのに付き添い、ちょっとだけ観られませんでした)。
オーロラは良い嫁キャンペーン、マレフィセントぶち切れ、狙い通り混乱を起こしてどさくさに紛れて全権掌握する義母様。
色んな面でヤバすぎるこの義母様、ここまで突き抜けた人をよく描いたなと思います。
何かのメタファーでもあるのかもしれません。
歴史修正主義者や差別扇動者の意味合いを感じました。
そして、個人的な見どころその二は、マレフィセントの羽毛の生え際…… 人肌と羽毛の境目がほんと凄い……よく作ったなぁ。
ストーリーは何やら壮大になっていきます。
義母様の策略、マッドサイエンティスト、「強欲な人間のせいで俺たちは~」、妖精たちの犠牲、全面戦争……。
凄かったし迫力あったし面白かったんだけども。
私たちは一体何を見せられたんだろう。
何なの、この戦いは何だったの。
……はっ。 もしや、戦争が一部の人によって引き起こされる不毛さを説くためにこのストーリーを?
と、ちょっと整理しきれないうちに、『アナと雪の女王2』が始まったので、そちらも鑑賞してきました。
『アナと雪の女王2』※ネタバレあり
既にテーマ曲が宣伝で大々的に流れていますが、アナと雪の女王2では、エルサが謎の声に導かれ冒険に出かけます。
両親の思い出の中に謎を解く鍵を見つけ、アナとクリストフ、スヴェン、オラフを伴い、閉ざされた森へ。
そこではアレンデールの集団と森の民がなぜか戦い続けていて、アナとエルサは戦いを終わらせ森の呪いを解くために出掛けるのですが、エルサはアナを追い返して単独行動に。
エルサは戦いがなぜ始まったのかの真相を突き止め、アナはそれを受けて「正しいこと」を行おうとします。
おお?ちょっと共通点が見えてきたような…?
『マレフィセント2』と『アナと雪の女王2』が描いたもの
戦争
どちらも子ども向け映画なのですが、双方とも「戦争」を描いてきました。
これが比喩的ななにかの戦いなのか、戦争そのものなのかはちょっと測りかねますが、個人的には「戦争」そのものかと思いました。
なぜって、どちらも実際の戦争をなぞっているように見えたからです。
両作品で戦うのは、一方はどちらかというと高度な文明を持つ人間の国、他方は妖精の国だったり魔法の森の民だったり。
前者の人間の国は、大航海時代のスペインや、植民地時代の欧米、また、もしかすると第二次大戦前の大日本帝国を彷彿とさせます。
最近だと、イラク開戦時の米国も思い浮かびました。
後者は被侵略国でしょうか。あるいは、場面によっては権力を持たない市民や被差別者などを象徴しているようにも見えました。
両作品とも、軍事力のある人間の国の側が、騙し討ち的に相手の国を罠にかけてしまいます。
軍事や経済で力を持った国と、そうでない国(多くの場合、それら強国とは異文化)が、表面的には友好を結ばんとしながら強国が虎視眈々と他方の国の人や資源を狙う様に、ものすごくよく似ていると思いました。
嘘
そして、もうひとつ気になったのが「嘘」の存在です。
『マレフィセント2』では、前作『マレフィセント』(史実と位置付けられる)とは真逆の『眠れる森の美女』のストーリー(マレフィセントが悪い魔女として語られるもの)を義母様が盛んに吹聴し、世間に信じさせてしまうのです。
そのためにマレフィセントが悪者とされ、彼女の討伐が正当化されてしまいます。
こうした話は、昨今国内でも吹聴されている歴史修正主義を思わせます。
他方の『アナと雪の女王』では、虚偽の事実を作出した者こそ明らかにされなかったものの(たしか)、姉妹の父が信じているストーリーと別の「真実」の存在が匂わされており、実際にエルサは事の真相に辿り着きます。
それはアレンデール王の裏切りであり、友好の証と思われていたものが相手の力を弱めるための罠だったという話です。
この話は「大量破壊兵器がある」とか「鉄道が爆破された」などの虚偽謀略に基づいた開戦を思い起こさせ、個人的にはかなりゾクッとしました。
戦争と嘘は、切っても切れないのではないかという気がします。
解決:弱者からのアプローチと強者からのアプローチ。
両作品が戦争を描く以上、その終わりも描いているのですが、こちらはちょっと対比的。
『マレフィセント2』は、フェニックス的な復活を遂げたマレフィセントが義母様を封じて終戦。
その後オーロラとフィリップ王子が結婚して、マレフィセントが女王となる妖精の国との友好が築かれるというエンディングでした。
『アナと雪の女王2』では、戦いそのものは序盤のアナとエルサの登場で一旦休戦となっていたところ、エルサが真相に辿り着き、アナがアレンデールに犠牲を伴うかもしれないが「正しいこと」と思われる方法で原因を取り除きます。
そしてアナはアレンデールの女王となり、エルサは魔法の森に落ち着くのです。
最終的に戦争を終わらせる行動に出たのが、『マレフィセント2』では妖精の国側のマレフィセント、『アナと雪の女王2』では人間の国側のアナなのですよね。
現実問題として起きてしまった諍いを、どちらの側からどう終わらせるか、そのアプローチの違いを描いているような気がします。
マレフィセントの方は、そうしてみるとかなり壮絶で大変なんですよね。
途中で登場する仲間勢力と協力して、ものすごく犠牲を払って戦って、最終的には肉を切らせて骨を断つ感じ(というか一回●んでません?フェニックスだし)の勝利です。
実際問題、弱者の側の戦いって、めちゃくちゃハードですよね。
香港のデモなんかでも、市民の側には死傷者まで出ていて、それでも目的達成まで諦めないで戦っています。
ようやくこの前の選挙で良い結果が出たようですが、まだまだ油断ならないのでしょうね。
アナと雪の女王の方は、これとは逆に強国側が良心に基づいて行動することを解決方法としています。
アナが辿り着いた解決方法は、アレンデールも危険に晒す恐れがあるものですが、実のところそれほど犠牲を払うものではないことが予め示唆されており、アナはほとんど躊躇せずそれを選択することができます。
強国、強者の方は、良心に従って行動するだけで、さほど犠牲を払うことなく問題を解決できてしまうのです。
こんなに簡単に解決できるんだから、やれよ。
そんな後押しすら感じます。
これは、ちょっと対比してみると女性差別に対する解決方法にも近いものを感じますね。
女性の側から差別解消に向けて戦うには、すごくハードで、これまで縁の無かった仲間とも連帯して、ものすごい犠牲を払って、場合によっては死傷者も出して、怖いほどの力を発揮してようやく正当な権利を勝ち得るに至る。
サフラジェット(女性の参政権獲得の運動)などが全くその通りな感じでしたが、普通に運動しても進展なく、彼女たちは暴力的な抵抗にまで出て、仲間に犠牲者も出して、そこから更に歳月を経てようやく権利を獲得するに至ったのです。
現在においても、セクハラや性犯罪被害を訴えた女性がどのような目に遭わされているかを鑑みると、正直こうした状況はあまり改善していないようにも見えます。
他方で、男性の側からこれらの差別解消をしようとするならば、本来それは全く難しくないことではないでしょうか。
サフラジェットの時代に遡ってみても、男性たちが女性の参政権を認めたとしても男性には特段犠牲を払うことはなかったはずです(実際参政権が形式的に平等な現代の男性が政治の面で女性に遅れを取っているということはありません)。
セクハラや性犯罪を撲滅するにしても、男性たち全員がそれらを「やらない」だけで良く、何の犠牲も必要ありません。
他の男性に加害行為をやめさせることも、女性が止めるよりは簡単なはずです。
女性が「痴漢やめろ」と言えばなぜだかブス呼ばわりされたり付け回して加害されることもあるのに対し、男性が注意した場合にそうした被害を受ける率はそれほど多くありません(ゼロではないようですが…)。
それぞれが皆「正しいこと」をするだけで良いはずなのです。
前作のマレフィセントとアナと雪の女王がフェミニズムの文脈で語られることが多い一方、2では鑑賞時点でそれとは気付きませんでしたが、やはりその要素も含まれるものなのかもしれませんね(特にマレフィセントでは相手が義母様だから、ちょっとそれとは思いつかないです)。
おわりに
両作の最終的なマレフィセントとエルサの行き場(オーロラとアナの行き場)もちょっと示唆的で興味深かったのですが、そこまで話を膨らませると大変そうなのでここまでにしておきます。
こんな感じで深読みレビューしちゃいましたが、どちらも小1の我が子が喜んで観てくれた、子ども向け作品でした。
アナ雪2は特に、オラフが喋るたびに子どもたちがどっかんどっかんウケてました。うちより小さい子にも楽しかったみたいですね。
きっと今作も盛り上がることでしょう。お子様連れでぜひ観に行ってください。