さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

声を上げることは、「そこに血を残す」こと

最近『Black Box』を読みました。

 

その主題である事件そのものは、既によく知られていますし、ご存知なければ是非ご自身で調べていただくか、同書を読んでいただいた方がいいだろうと思うのでここで紹介することはしませんが、この本の中にとても印象深いフレーズがあったので触れたいと思った次第です。

感想文というよりは、このフレーズについて色々考えたことと、私の経験などをお話しようと思います。

 

あと、初めに謝っておきます。

この本の著者には、月並みながら、その勇気を讃えたいという気持ちでいっぱいですし、それゆえに本来ならもっと真面目な考察をしたかったのですが、現時点でその力量が全然ありませんでした。残念でなりません。

 

真面目なレビューを求めて来られた方は、普通にAmazonのレビューを見た方がいいと思います。

以下駄文ですが、フレーズだけでも覚えて行ってください。

 

 

シビれるフレーズ 

著者は米国留学中、ホストファミリーから、誘拐されそうになった場合のアドバイスを受けたと言います。

「銃で脅されても車に乗っちゃダメ。そこで撃たれても逃げて。車に乗ったら最後。誰もあなたのことを探すことができないの。

だから、そこに血を残しなさい。そうしたら、手がかりが残るから」

これ、めちゃくちゃシビれる言葉じゃありませんか。

私はシビれました。

 

今までそんな考え方したことありませんでしたから。

私なんぞ、ぼーっと歩いていていきなり銃で脅されたら、うっかり車に乗せられかねませんよ。というか、大半の人はそうそう血を残す行動には出られないのではないでしょうか。日頃そんな考えがなければ、緊急時に冷静な判断なんて、そうできませんから。

今殺されるよりは少しでも延命できそうな道を選んでしまうでしょう。

結果、その先死ぬより酷い目に逢うかもしれないとは想像もせずに。

  

著者が事件後、黙りも諦めもせず、行動し続けているのは、不自然な圧力や世間の目から「撃たれても」、正に「血を残す」を実践していることに等しいのだなという印象も受けました。

黙って、我慢していけば、かりそめの平穏が訪れるかもしれませんが、彼女の魂は癒えることもなく、誰もその事件を知る由はありません。下手したら第二、第三の被害者が出るかもしれませんし、彼女が訴えるような、被害者を守る社会のシステム作りなんて、あと100年くらい経つか、他の悲惨な事件が起こらない限り、進むことはないかもしれません。

彼女が口を開き、身を切って血を残したからこそ、多くの人が事件を認識し、現在のシステムの不十分さを知り、どうすればいいかを考える端緒となるのです。

 

私はそこに血を残せるだろうか 

何も、こんな大きな事件に巻き込まれずとも、人間生きていれば声を上げるべきか黙っておくべきか迷うような事態の一つや二つは出て来るでしょう。

 

学校で、いじめられたら?

 

または、クラスメートの誰かがいじめられていたら?

 

勤め先で、何やら不正が行われていることを知ったら?

 

道端に倒れている人を見つけたら?

 

どちらかといえば、空気を読まずに声を上げることの多い私でも、「しまったな〜、言っておけば良かったな」ということが無くはないのです。

 

とはいえこれまでも、大きな問題であれば、できるだけ声を上げるようにしてきました。

しかし、声の上げ方が器用でないので、若い頃から割とトラブルメーカーになっていたりもするのが悩みどころです。

社会人になってからは、声を上げる時は首を覚悟。

結構ドキドキしながら物申していたりもします。

 

あ、でも正義に反すると思うと「許せ〜ん!」がつい先に立ちますけれど。

 

声を上げるとどうなるのか?

国家を揺るがすような一大事ではないものの、これまで多少なりとも声をあげてきた経験からすると、声を上げるとどうなるかは一応分かります。

十中八九揉めます。

身も蓋もないですが。

 

なぜなら、問題を表面化させないでやり過ごしたい人がいるから放置されているのです。やはり表立って指摘すれば、そこに抵抗する人が出てくるのは当然です。

 

しかし、その揉め様には、結構意義があると思うのです。

 

  • 関わる人間の立ち位置がはっきりする

問題が曖昧なまま、誰が認識しているのか、誰が肯定しているのか分からない状況と、議論が活発になって誰が肯定していて誰が否定しているのか、なぜその立ち位置なのかなどがはっきりした状況では、解決に向けた行動のし易さが全く異なります。

全員が敵に回ってしまう状況だと…それは自らが間違っていたか属すべき社会を間違えたかという感じがしますが、そこまで悲惨なことになることは少なくて、たいていの場合、何人かは味方ができたりもします。

場合によっては、すごく強力な味方ができて、思ったより良い事態に動くこともあります。

 

  • 経験値が積める

 一度そのように揉めた状況を作り出すと、否応無しに問題に対応しなければならなくなります。

もちろん、最初はそううまくいかないかもしれません。

しかし、修羅場を潜る経験は、確実に人を強くすると思います。

 

とある大先輩は、多くを語りはしませんが、数々の修羅場を潜ってきた感が半端なく、見事に身をかわしながらきちんと問題に対応されています。こういう方を、敬意を込めて古狸と評したくなります。

 

また、それとは違う遣り手感のある先輩は、なんというか、絶妙なところに起爆装置を設置して、ここぞというタイミングで点火しまくっているので、敬意を込めて花火師と評したくなります。

 

私はと言えば、まだまだ未熟なので、最初に一発ドカンと行くだけで、ほぼほぼ自爆テロ方式になっている気がします。しかし、今までの経験上、誰かしら骨は拾ってくれていますね。最初の一声は上げたくないけれど、後のややこしい事態への対処には協力してくれるという方が少なからずいるような印象です。

 

  • 多分、言った方がスッキリするよね

基本的には何か許せないと思うことを黙っているタチではないので、あまり長く黙っていた経験がないのですが、多分黙って我慢していたら腹が立って血圧が上がるか、精神を病んで突発的に飛び込みたくなるかなんじゃないかなという気がします。

職場で声を上げると、揉めることにはなるので、やっぱり血圧は上がりますが、アドレナリンが出て戦闘体制になります。

オラ、ワクワクすっぞ。

 

最近ちょっと厄介すぎる問題が起きているので、なんだか本当に修羅場こそ仕事の醍醐味みたいな感じがしてきました。

困ったな、血圧だけ本当に高いので。

胡麻麦茶って効くんでしょうか?

 

かつて、権利は血を流して獲得するものだった

フランスの市民が自由と平等を獲得するのにも、アメリカで黒人が奴隷制から解放され投票権を獲得するのにも、おびただしい血が流れたのはご存知の通り。

 

私が得ようとしているものは、血を流すほどのものではないかもしれないけれど、血も流さず、声も上げず、黙ってテーブルについているだけでサーブしてもらえるものでないのは確かなのです。

 

これまで、世の中なんとなく、声を上げる方がダサくて物分かりのいいふりをしている奴がのさばるのかと思っていましたが、おそらくそれは日本の学校のような閉鎖的な空間に限っての話ではないでしょうか。

 

本来、社会は、黙って待っていればいいものではないのです。

 

そして、法治国家になり暴力で権利を獲得することはできない以上、そこは声を上げて、言論の力で戦って得るしかないのです。 

 

日々鍛錬

首を覚悟で物申すからには、いつでも他で働けるように準備しておかねばなりません。本当に後先考えずに言えるならいいんですが、これでも一応、守るべき子供もいるものですから。

 

正直、今の私は「この職場がどうなっても今の収入維持できる」までには至っていないと思います。一応それなりのアテはありますが。

地道に力をつけていかないとな…。

 

と言うわけで、また今週も鍛錬しながら地雷原をくぐり抜けていく予定です。

よろしければ、無事を祈ってくださいませ。