私は何がしたいのか
四十にして、自分が何を求めているのか、どう生きたいのか、それをきちんと認識するのが上手くなってきた気がします。
いや、若い頃から意思はやたらと強かったし、異常に頑固だったし、別に「自分が何をしたいのか分からない、自分探しの旅に出る」とかいうことも無く「私はこれをやるぞ」と決めて引かないタイプだったんですけど…何というか。
その頃は、決意は出来ていても、自身のどこからどうその決意が出てきたか、何の欲求に導かれてそう結論付けたのかまでは無自覚だったように思うんですよね。
最近は、
「よくお金欲しいって思ってるけど、今100万円貰っても嬉しいけど満足するわけじゃないんだよな。結局は人生の終わりまで満足行く暮らしがしたいだけなんだよな。理想の家があって何だかんだずっと食べていけて社会と健全に繋がっていられれば、ぶっちゃけ現金そのものは不要なんだよな」
という具合に、本音の出所がちゃんと分かってきたわけです。
おお!もしかしてこれが不惑?
そして、さっき言った「理想の家」がどんなかというと、
私さ、もし自分の家建てるなら庭はオープンにして、軒先にベンチ置きたいの。お年寄りが立ち寄って休憩したり、子どもが待ち合わせに使えるように。
— わんおぺまむ@本当に寝ていたい (@OneopeMam) 2019年5月9日
そこは自分ちのリビングの窓から丸見えにしておいて、誰か来てたらお茶でも出したい🍵
自分が年取ってあちこち行けなくなっても、誰か来て欲しいし。
これ〜!
概ね自分の好きなことしながらも、やんわりとさりげなく人に世話を焼き、そして世話を焼かれる。
そういう生き方したいんだなあ。多分。
土地と建物だけなら、うんと田舎に行けば手に入れられるかもしれないけど、人が滅多に来ないところより、毎日誰かしらと顔合わせる町の方がいいなと思う。
意外に寂しがりなのかな。旦那は置いてきたのに。
もっとも、今住んでる街で中古不動産探すと、ギリッギリ手の届く価格のものは「再建築不可」とか。それだと歳とる頃には住めなくなっちゃうのね。ベンチ置く隙間すらないし。
田舎に引っ越そうにも、子ども入学したばっかりだしなあ。車も運転できないし。
あと、家買っちゃうと、逆に動けなくて困るかもしれないし(もし子どもがいじめなどのトラブルに遭ったら引っ越しできるようにしておきたい)。
よし、理想の生き方のために、子の学校の心配がなくなった時にポンと家買えるように頑張ってコツコツ貯めるっきゃないね!
やばい、銀行口座が空っぽだお。10連休…。
— わんおぺまむ@本当に寝ていたい (@OneopeMam) 2019年5月10日
あっちのあれをこうして、こっちをアレするか。それで間に合うんだけど、なんか自転車操業感がハンパない。
おい、連休中の私、何が不惑だ。
思いっきり理想見失ってるぞ!!!