さよならワンオペ育児?

夫が仲間になりたそうにこちらを見ている

苦労の怨霊は何のためにあらわれるのか

人間には色々な感情がありますよね。

喜び、楽しみ、怒り、悲しみ… 中には妬み僻みや恨みのような、マイナスと思えるものもありますが、おそらくそれらも、人類の進化の過程で必要だった、何らかの機能によって発生しているのではないだろうか、とか思ったりしています。

 

one-mam.hatenablog.com

 

ブログで何度か言及している、苦労の怨霊、分かりやすく言うと「私は苦労したからあなたも苦労せよ」問題。

この厄介な感情も、もしかしたら必要とされる場面があるのかもしれないと、ふと考えました。

 

最近やってる仕事のことなんですが… 「とても苦労しているのに分かってもらえない」という問題があって、実のところそれが色々なトラブルに派生しているなと思ったんですよね。

ごく一部の人に、厄介なことが押し付けられているのです。

それは、権力勾配というより、難しいこともこなせる優秀な人に難しい仕事が任せられているという面はあるのですが、そこが評価に繋がっていないことも不満につながっているようです。

 

で、最近、その辺を全く分かってくれないでいた上司の一人が、厄介なカテゴリーの仕事をするとこになりまして。

不満を抱えてたメンバーは異口同音に「できるだけエグい案件があいつに当たればいい」と。

…うん、これは私も全く同感でした。

 

で、これって「私は苦労したからあなたも苦労せよ」そのものなんですけど、これはこれで正当な思考かもしれないと、ふと思ったんですよ。

というのも、この件については、 「この人は苦労しなけりゃ分からない!」 からです。

そして、その上司が苦労を理解してようやく、厄介ごとを任せられている部下に起きている様々なトラブルを解消でき、再評価にもつながるんですよね。

 

ここからは全くの想像ですが、この苦労の怨霊には、共同体の中で体験を共有していないメンバーに対して、同じ苦労をさせることで理解を促進させて問題の解決を図るという効果があるのかもしれません。

人間は社会を構成して生きる生き物なので、進化の過程でそういう機能が備わったのでしょうか。

それにより、この機能を備えた集団が、備えない集団よりある程度生存に適したということも、ひょっとしたらあるかもしれない。

 

ひょっとしたらそんな効果もあったかもしれないけれど、やはり現代社会ではいまいち良い結果をもたらさないことが多い苦労の怨霊。

それがどういう効果をもたらすものか、考えながら消化してみようかなと思いました。