さらば苦労の怨霊〜「私も苦労したからあなたも苦労せよ」問題
苦労人だからこそ陥る、苦労の再生産の罠。
懺悔します。
最近、保育園に受かったの落ちたのがTwitterのタイムラインを行き交っている中、ハッとさせられるつぶやきを目にしました。
もう原典が分からなくなってしまいましたが、概要としては、
激戦区で大して保活もしていなかった人の保育園落ちたという話に
つい「そりゃ落ちるよ」なんて思ってしまう自分の残酷さに気付いた。
というような話だったと思います。
これに、すぐ気付かれて自戒したというその方をとても尊敬します。
私は全く自戒できず、ストレートに態度に表してしまった経験があるのです。
私の場合は、就活の折のこと。
いわゆる就職氷河期時代、結構しょっぱい目に遭いながら、なんとか社会に出てからしばらくした頃。
母校の卒業生の集まりで知り合った初対面の後輩から、「◯◯業界に興味があるんです。極楽さんの勤め先◯◯ですよね。紹介してもらえませんか」くらいの結構フランクなメールを貰ってしまったんですよね。
まあ、カチーンと来ちゃった。
氷河期だよ、氷河期。みんな苦労してんのよ。
ましてや、女子は苦労しましたよ。
学生時代までは男女関係なく学力だけで評価されて来てたのが、就職になると途端に立ちはだかる、大きな壁。
「結婚や出産は匂わすな」とか「いや、ちゃんと産休育休の話は聞いておけ」とか
「スーツはスカートにしておけ」とか「パンプスのヒールは5〜7cmで」とか、もう一体何なのさという感じですよ。
あからさまに「産休?制度としてはありますけどね…」みたいなこと言ってくる面接官もたくさんいたし、そりゃあまぁ、心折れましたよ。
とりあえず、食って行かなきゃ仕方ないので、必死で頑張ってどうにかこうにか社会に出て、社会って一体何なのさとムズムズしているその時に、なんかモヤっとした志望動機で「紹介してください」って。
そんな甘い話があるか〜!
と、割とストレートに返してしまった。
今は反省しています。
この、「私も苦労したからあなたも苦労せよ」という感情。
なんて名前を付けたらいいのかよく分かりませんが、至る所で見られるコイツが、世の中の色々な変化を妨げていやしないかと 思うのです。
例えて言えば、苦労の怨霊。
そんなことしてた私が言うのも何ですが、実のところ、苦労した人ほど、この苦労の怨霊に取り憑かれやすいのではないかと思っております。
ワンオペ育児の苦労の怨霊。
前に、このブログでも書いたのですが、「妻が産後うつになって実家に戻り、0歳と2歳を抱えてワンオペ育児する夫」の苦労を紹介するという記事に対して、日々ワンオペ育児に苦しんでいる女性と思しきアカウントからボロクソに当該夫を罵るヤフコメがつきまくっていたことがありました。
(なお、今は元記事がリンク切れになっています)
私はこの記事を見た時点では、とても幸せな別居生活を送っていたので、同情こそすれ叩く気なんて微塵も起こりませんでしたが、ワンオペ育児の苦労の渦中にいる人にとってはそうではなかったのでしょう。
また、その辛さも想像できるから、記事を叩いていた人を安易に責める気にもなれません。
しかし、本来ならこういう記事をどんどん発信して、世の男性にも育児の大変さについて理解を促すほうが、将来的にワンオペ育児で苦労する母親を減らすことにつながるはずなのです。
ただこんなところで男性叩きしていても、事態は何も改善しないし、良い変化は起こせません。
苦労の怨霊は、未来を閉ざす。
よく見かけませんか?
「俺が若い頃はもっと苦労した。営業は足で稼げ」なんて偉そうに嘯くおじさん達。
または、
「最近の若い人たちは便利な道具に頼りすぎよ。オムツは布じゃなきゃ、外れるの遅くなって大変よ」なんて見当違いなアドバイスをくれるお婆さん達。
実際、その人達は苦労したのかもしれない。苦労によってその人なりに何とかやっていくことができたのかもしれない。
でも、明らかに無意味な努力を強いるものになっているケースって、少なからずありますよね。
こういうの↓とか本当にそのもの。
カーナビを前にしても地図読み強要って、どう考えてもめちゃくちゃ不合理です。
やはりというか、その会社は潰れたそうですが、こんな非効率が次の世代に押し付けられていたら、そんな社会は当然ダメになって行きますよね。
それでも、苦労の生き霊と化す人々。
しかし、そうした不合理な苦労の再生産は、後を絶たないように見えます。一体なぜなのでしょうか。
前に、だらだらと書き連ねましたが、エリクソンという心理学者の著書の中に、そのヒントらしきものを見つけました。
誤解を恐れずざっくりと言えば、苦労や我慢を強いられて来た人ほど、苦労や我慢に耐えることが規範になり、アイデンティティになりがちなのです。
とても不合理な境遇に耐えて苦労や我慢を続けて来たAさんがいたとしましょう。
ところが、ある日突然、その苦労や我慢が「不合理だ」「非効率だ」と否定される。
抑圧の源が否定されるのだから、Aさんにとって解放になるはず、と思われるのですが、そうではなく、この時Aさんに「自分が否定された」という感情が湧くことがあるのです。
Aさんは、長きにわたる抑圧に耐えるため、「辛い、逃げたい、辞めたい」を封じ込めて、「耐えることこそが喜びであり美德である」というように自らの価値観を転換させることで自身の境遇に対処して来たのです。
まさかと思う人もいるかもしれませんが、結構ありがちですよ。
体育会系の歪んだスポ根の部活とか、未だにスポーツ科学ガン無視で無茶な特訓とかやってません?「その方が精神が鍛えられる」とか言って。
長いこと専業主婦で、やりたいこと色々我慢させられて来た年配の女性が、嫁姑のトラブルとか、母娘のトラブルとか起こすじゃないですか。「嫁たるものは…」みたいなこと言い出して。
低所得労働者が「自己責任だろ」「ズルイ」とか言って生活保護を叩いたり。
つい最近も、Twitterで見かけました。
仕事している子持ち女性を侮蔑するような発言があって、どんなミソジニスト野郎かと思ったらその人自身が子持ちの女性だったと言う事案。
リアルタイムで子育て中の女性となると、生き霊と言うべきでしょうか。
心底驚きました。
苦労の生き霊と化した人は救えるのか。
私は、苦労の生き霊と化した他人を救った経験はないので、正直何とも良くわかりません。
もっとも、自分に関して言えば、若い頃と比べて随分と解放されたように思っています。
前にここでも書きましたが、自分をないがしろにする旦那を置いて来たことに加え、
とにかく掃除して埃を除去すること。
部屋を自分の好みにコーディネートにすること。
料理は手抜きかつ自分好みの味にすること。
それから、健康のために運動もして、美容院にもマメに行くようになった。
子供と猫のことはもちろん大切にしていますが、彼らの安全や健康と抵触しない限り、 まずは全部自分のやりたいようにしました。
「世のため、人のために生きなさい」が呪いの言葉になった訳。 - 極楽ワンオペ育児
あ、掃除にこだわっているのはハウスダストアレルギーだからで、アレルギーなければそこはダラでいいと思います。
私の場合は、本当に我慢の限界だったので、一気に荒療治する羽目になりましたが、やっぱり自分をきちんと大切にしてあげることが必要なのではないかと思います。
環境によっては難しい場合もあると思うのですが、できるだけ自分を消耗する存在から離れて、自分を大切にする。
そのために、行政でも近所の人でもいいので、他人の手や資源を借りることも大切かと思います。
一人で何もかもを頑張ってる人は、頑張ってるな、すごいなと思いますよ。思いますけど、そんなに無理しなくて良いよとも思います。
と、ちょっと思うところがあってつらつら書きましたが 、別にこれを読んだ人にどうこうして欲しいという問題でもないのです。
ただ、一つ言えるのは、自分の好きなように生きるって、最高に幸せですよ。