子どもの発達が気になる?子どもを育てた子どもの話
子育て中の皆様、今日も奮闘されてますか?
ほどほどに力抜いてくださいまし。 保護者が倒れたらいけません。
元気に気楽に参りましょう。
なんと、力抜くためのリソースがない?
…お近くなら助けに行きたいです。マジで誰かを頼ってくだされ。
子どもの発達が気になる?
最近ちょっと本を読んでいて、乳幼児の発達の表を見ました(こんなの)。
何歳頃、どんなことができるようになるという目安。
Twitterで育児中の皆さんの呟きを見ていると、こういうの気にしちゃう方も少なくないですよね。
子どものプロでもない赤の他人である私が、無責任に「大丈夫よ~」なんて言ってもな…と、声掛けづらいけど、たぶん、大体のケースは問題ないだろうなと思うんですよ。
こうした目安って、発達障害などを発見するきっかけとなることもあるでしょうし、決して否定するものではありません。
一方で、こういうもの気にし過ぎて悩んでしまう保護者の方もいるだろうから、参照にするのはいいけど、何かが遅れてるからって一人で悩んで抱え込んだりしない方が良いだろうなとも思うのです。
どうしても気になるときは、地域の相談先などを頼ってください。
私はと言えば、旦那と同居時代は忙しすぎたうえ、良くも悪くも第一子の育児と思えない手抜き具合だったこともあり、これまでこうした目安をあまり気にしたことがなかったです。
子が6歳の今、改めて振り返ると、
「あれー?うちの子歩き出すのもっと遅かったような…」
「3歳~3歳半、一人でトイレに行く?嘘ー!まだトイレ付き合わされてるぞ?」
と、ズレてることも色々。
本気で何か支援が必要なレベルの発達の遅れがあれば、たぶん保育士さんから何か言われるだろうから、まぁ大丈夫な範囲だったのかな?
トイレには一人で行かないけれど、一人で店員さんに質問しながら買い物もできちゃう頼もしい子に育っています。
大変ありがたいことです。
子どもを育てた子どもの話
って、第一子を育児中の私が超呑気にそんなこと言ってられるのは、実は産んだのは1人だけど、子育ては概ね2度目だから。
破茶滅茶な幼児期を過ごした子どもが、今まともな大人として生きてるのを見てるからです。
ちょうど私が今の娘くらいのとき、下のきょうだいが出来まして。
今ならあり得ないというか、当時も割とあり得ない光景でしたけど、学校から帰ると赤ん坊背負って遊びに行ってたんですよね。
さすがに赤ん坊背負ってたのはうちくらいでしたけど、その頃は近所の皆も、きょうだい連れて子ども同士で遊んでたような記憶があります。
世は昭和末期ころでしたが、なんだか昭和初期の香り。
なにか郷愁を誘うのか、近所のおばちゃん達が、寄ってたかって私たちを手助けしてくれました。
なので、子どもの世話、大体経験済みなんですよ。0~1ヶ月児以外。
幼児期のギャングっぷりにも、当時ほとほと手を焼いたもんです。
そして、きょうだいは理性がなかなか育たなかった…未就学児のうちは話通じなかった記憶だなあ。今の我が子と全然違う。
理性のない幼児って、結構大変なんですよ。
年齢一桁の小学生と幼児なんて、体格も親子ほど大きくは違わないんですよね。
手加減なしの幼児に何度も泣かされました。
体力はないし、泣かされては感情的にやり返すし、私は保護者としては全く至らなかったと思います(注:当時年齢一桁です)。
その頃の私には子どもの発達についてカケラも知識がなく、人間力も全くない子どもでしたが、そんな子どもに半分くらい育てられた、気性の荒かったきょうだいが、まともな大人として今を生きている。
良いか悪いか分かりませんが、その経験があるので、今は割と鷹揚に子育てできています。
個人的にはそんな経験も今活きているのですが、念のため言いますが、これ絶対に人には勧めません。
子どもに子どもを育てさせちゃいけないです。「子育て体験」程度ならともかく。
大人と違って使える手段が少ないから、色々と詰むんですよ。
・どうしても言うこと聞かないのでモノで釣る(ための経済力)
・どうしても言うこと聞かないので暴れる子を抱えて帰る(ための体力)
などの最終手段が無い状態での子育てなんて、よほど大人しい良い子じゃないと厳しいです。
それでもなんとかなってたのは、子どもの世話が、学校から帰ってからの限られた時間だったことと、近所の方が皆顔見知りで、寄ってたかって私たちを手助けしてくれた環境のおかげだと思います。
現代の大人の保護者の皆さんも、子育て時間が24時間じゃなくてある程度限られてたほうがいいし、近所の他人が寄ってたかって助けてくれる方が良いだろうな…。
それにしても、今6歳の我が子の背中を見て、この年頃の背に乳飲み子を背負わせようという気持ちは一切湧かないですね。
昔の人って…うちの親って…クレイジーだな。